今年もオドラ座kikugawaが終わった。炎衆北斗は今年も、子どもたちだけの力で、本当に良く頑張ってきたと思う。この部分については、手前みそではなく、何処に出しても良いことであり、座長は炎衆北斗の子どもたちを誇りに思っている。
リーダーのゆうなには、練習方法からメンバーの指導まで任せきりで、本当に感謝している。本来ならば大人の指導者が言わなければならないようなメンバーに対する苦言まで
してくれており、時には憎まれ役としてつらい思いをしていたかと思うと、申し訳ないと
いう気持ちで一杯である。
礼儀正しく優しいけれども、物静かだったサブリーダーのみゆは、ゆうなの奮闘する姿を見て、全体の前でしっかりと自分の思いを伝えられるようになってきた。このように炎衆北斗のメンバーは、日々の練習やオドラ座への活動を通して、一人ひとりが成長してくれたと思う。炎衆北斗の活動を通して座長の目指すところはそこにあるので、今年も満足はしている。
しかし、百パーセント満足かと言われれば、
正直なところそうではない。それはオドラ座というイベントへの気持ちである。10年余り前にこのイベントが始まった時にあった「おらがまちの踊り発表会」のようなコンセプトからズレ始めているように感じるのだ。
確かにコンテスト形式だから仕方がないのであるが、現行の形だと「ボクシングのヘビー級VSモスキート級」や「レスリングVS空手の異種格闘技戦」のように感じる。50人を越えるような大人数チーム10人以下のグループを
同じ土俵で戦わせるのには無理があると思うし、ジュニア部門におけるヒップホップ系とよさこい系の比較も無理があると思う。
コンテストという形をとる以上は、戦う前から「絶対に勝ち目はない」とか「どこをどのように審査するのか!?」というような気持ちを持ってしまうことはまずいと思う。中学校の合唱コンクール等では、どこのクラスも本番が終わって結果が出るまで、「今年は頑張って優勝するぞ」と思い続けている。勝負事なので結末は誰もが良いというわけではないが、この過程が人を成長させると思っている。
今回は天候にも恵まれ、産業祭と同時開催で
人の出も多かったように思う。今後、オドラ座+産業祭というこのイベントを定着させ、
発展させていくには、以上のような点を検討してもらえればと考えている。